黄幡公園と渡邊祐策

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幕末の元治元年(一八六四)六月十六日、渡邊祐策は毛利藩福原領小串村嶋(現在の宇部市小串島)にある屋敷で生まれた。父の名は國吉恭輔、母はキク。渡邊姓は、福原氏の家臣であった渡邊家を明治初期に継承したものである。

祖父の藤輔は、農業の傍ら石炭採掘に乗り出して大成功した。
ところが、安政六年に家人が誤って火災を引き起こし、嶋地区の大半を巻き込む大火となった。
このとき藤輔は、家財一切はおろか二人の娘と跡継ぎである幼い初孫を失った。
悲しみから五年後、一家待望の男児である祐策が誕生した。

だが災難は続く。祐策誕生の翌年、姉のスマ(七歳)が庭先の池に落ちて、人知れず溺れて亡くなった。それから二年後の慶応四年、妹ヤエが誕生。しかし、母キクは産後の肥立ちが悪く、その八日後に亡くなった。

三年が過ぎた頃、父恭輔は士族の娘イネを後妻に迎えることとなった。

七歳の祐策に祖母ノブが
「スケサク、お母さんが来られるよ」
と言ったところ

「では、下駄を持って、お墓へ迎えに行かないといけませんね」
と答えて出て行った。この話を聞いた周囲の人たちは、祐策の素朴さに涙した。

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祐策が少年時代に見ていたものを今でも目にすることができる。

祐策の生家からバイパス道路を挟んだ北側に小さな丘がある。
周囲には蛇のような紋様の蛇紋岩がゴツゴツと露出している。桜並木のゆるやかな坂道を上るとそこが黄幡公園だ。

公園の片隅に小さい石の鳥居と祠が配置されている。これが黄幡神社である。
祠の両側には小さな狛犬があり、下側に「小串村若連中」と記されている。
祖父藤輔が石炭採掘をしていた時代に奉納されたものだ。

黄幡公園からは、祐策の生家や宇部興産の煙突が見える。
ここは今でも幼馴染と一緒に駆け回る祐策少年の気配が感じられる場所だ。

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