苦難の時代

故郷のために事業を興し、学校を建設し、公共事業にまで力を注いだ渡邊祐策翁。
宇部の神様とまで呼ばれた男も、初めから順風満帆だったわけではない。
祐策は宇部村戸長役場の用掛(村役場の職員)を辞め、家業である農業に従事した。

友人の紹介で高千穂村(現山陽小野田市)にあった堀田山炭鉱の経営に乗り出したのもこの頃である。
明治二十三年一月から五月に掛けて携わったこの事業は、結局、大失敗に終わった。

祐策は、母イネに言った。

「いろいろ出費が多いので家を手放します。親から頂いた家を手放すことは、私には堪えられない苦痛です。
しかし、どうぞ長生きをしてください。長生きさえしてもらえれば、私の力できっと立派な家に入れて差し上げますから」

イネは目に涙を浮かべて、ただ黙ってうなずいた。
そして、祐策の家族は残された土蔵の中で生活することになった。
明治二十三年からの約十年間は、祐策にとって最も苦しい時代だった。

「えらい(しんどい)だろうが、今一時の辛抱じゃ」

そういって、農作業を手伝う妻を労った。

ある時、下条に住む小作人が祐策の畑二反を荒地にして返した。
祐策は少しも怒る様子を見せず、一言つぶやいた。

「よし、この畑を立派にして見せるぞ」

雑草を刈り、馬を使って畑を鋤き、石を取り除き、畑の再生に一年をかけた。
二年後には見違えるほど立派な畑になった。その畑のそばに家族で集い、お茶を飲みながら祐策はこう話した。

「物というものは、みんなこんなもんだ。
みんなが寄り合って、誠心誠意、力を打ち込んでやれば、どんなにまずいものでも立派になる」

七転び八起き、渡邊翁をもってしても同じである。
それは昔も今も変わらない。

 

写真上:現在の下条は、住宅が立ち並んでいる。

写真下:小串の丘から見た下条の方角

 

 

 

 

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